top of page

〜聖書「重要聖句」講解<72>〜

A.K.

2025年3月30日

《Scripture72 : 『しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。』ルカ10 : 42》

ルカ10 : 38-42

1)   メッセージのサマリー

イエス・キリストが家にいらして、直接交わり御教えを聞くことができるという人生最大のイベントを迎えた姉妹は、全く違う行動を選択した。マリアがイエス様の話される“神の言葉”を聞くことに「全霊を傾けて」いたのに対し、マルタはイエス様の接待という“自分が一番重要だと思う仕事”をこなすことに「全霊を傾けて」、自分と同じようにしない妹を非難した。私たちの地上の人生には、多くの「しなければならないこと」が存在するが、“本当にするべきこと”はわずかである。しかし人は、“存在不安”がもたらす“悪循環パターン”に囚われて、“本当にするべきこと”をなすことができず、さらに自己正当化のためにそれをしている人々を非難する。私たちは神様が備えて下さる様々な“霊的資源”を最適に活用し、その真価を最大限に発揮させるために、今この時に“本当にするべきこと”を見極めて、覚悟を決めた“選択と集中”を実践することが必要である。

 

2)   インスピレーション&アプリケーション

自分がしていることを正当化するために、するべきことをしている人を非難するのは簡単である。そしてそれは時にもっともなことのようにも見える。しかしやはり、「何をしているのか」ではなく、「何のためにそれをしているのか」なのである。するべきことをなしたマリアにはもちろん学ぶべきだが、マルタにも学ぶべきことは多い。なぜならば、私たちの姿そのものだからである。「しなければならない」たくさんのことの中で、私たちが本当にするべきことは何か。神様を怖れ、神様に対して誠実を尽くすこと。託された“本当にするべきこと”を見極めて力を注ぐことなのである。自分で自分の世界を守ろうとすることでも、自己正当化することでも、しなければならないことに翻弄されることでもない。「選択と集中」のために、今一度、自分が託された各分野での悪循環パターンを見直したい。


3)   メッセージから紡ぐフレーズ

圧倒されるTo Doリストの中で

本当にするべきことはごくわずか。

見極めて力を注ぐ歩みを喜ばれる神様。

© イエス・キリスト誠心教会

bottom of page