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〜聖書「重要聖句」講解<71>〜

A.K.

2025年3月23日

《Scripture71 : 『この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。』ルカ10 : 36》

ルカ10 : 29-37

1)   メッセージのサマリー

律法学者たちは、自己保身のために、「隣人をあなた自身のように愛せよ(v26)」という聖書の教えを限定的に解釈し、人々に教えていた。人は、この祭司やレビ人たちのように「“自分の世界”を守るため=自己保身・自己中心のため」に、“自分の世界の限界”の内側に閉じこもって、「“するべきこと”をしない」という選択をする。しかし、イエス・キリストは、愛するべき“隣人”の範囲を律法学者たちの規定した「限定的範囲」から解き放って、神様が導いておられるすべての人々に拡大した。つまり神様は、このサマリア人のように、自らが保身のために設定した“自分の世界の限界”を超えて、神様が与えられた“するべきこと”を全力を傾けて為そうとするようにと教えられておられるのである。

 

2)   インスピレーション&アプリケーション

私たちは慣れ親しんだ枠の中から出ることを快く思わない。枠の外の世界を知らないゆえに、不安が高じるからである。古い世界に留まる方が安心であり、ストレスがないからである。しかし、自分の決めた自分の限界の中に留まり続けるなら、私たちの世界は頭打ちである。限界の外にある祝福を知らずに過ごしてしまうことになる。スポーツ心理学で言うならリミッターを外す、音楽で言うならコンフォートゾーンを超える。神様に信頼してゆだね、恐れを乗り越え、勇気を持って一歩ふみ出すなら、すでに世界は拡がっている。ただしその一歩は、自己中心によるものではなく、御心に沿おうとする一歩である。神様は、御心に叶ったその自由をその恵みを私たちに味わって欲しいと願っておられるのだ。


3)   メッセージから紡ぐフレーズ

自分が作った世界の限界を超えても

“するべきこと”をなそうとする。

勇気ある歩みの中に御心がなされてゆく。

© イエス・キリスト誠心教会

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