A.K.
2024年7月7日
《Scripture41 :「人から出るもの、これが、人を汚すのです。」マルコ7 : 20》
マルコ7 : 14 - 23
1) メッセージのサマリー
自分たちの「外側にあるもの」は私たちに影響を及ぼすが、最終的に自分の「内側の世界」を壊すのは、私たちの「内側にあるもの」である。つまり、人間の内側にある『罪:“神中心”を離れた“自己中心”』こそが、人間が自らの世界を最終的に破壊する(汚す)根本原因であり、「自分の外側にあるもの」によって「自分の内側の世界」が汚され破壊されるのではない、ということである。これは一方で、「内側にあるもの」が正しく強固であれば、「外側にあるもの」はその世界を破壊することができないことを示している。私たちは、どのような「外側の世界」の中に置かれたとしても、【“自己中心”➡“神中心”】への“選択・決断・実行”をすることによって、イエス・キリストの十字架の贖いによって罪を取り除かれ、「自分の世界の回復=聖め」をもたらすことができる。神様は、私たちキリスト者がこのように「内側の世界」を聖めて、「外側にあるもの」の支配力を跳ね返し生きてゆくことを教えられておられる。
2) インスピレーション&アプリケーション
「自分の外側にあるもの」の支配力によって「自分の内側の世界」が汚され破壊されるのではない。このことを痛感しているところである。外からの刺激が特にあるわけでもなく、日常生活が安定しているときですら、自分の奥底に潜む存在不安から染み出してくる「悪い考え」に支配されて、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ、が頭をもたげるのだから。しかしそれを否定するのではなく、認めた上での【“自己中心”➡“神中心”】なのである。自分の選択によって「内側の世界」を聖め、強固にすることができるこのルート、神様の私たちへの信頼と愛が見えた気がした。
3) メッセージから紡ぐフレーズ
どんな外側の世界に置かれても、
造り主と建て上げる私の内側の世界は
しなやかに保たれ続ける。